強度偽装事件に思う
2005年12月06日 更新
年末にきて、児童殺害や強度偽装建築物が物議を 醸しています。「安物買いの銭失い」・・・なにか、そんな気がしてなりません。”なんでも安ければよい”、このことの付けがとんでもないことになるのでは ないでしょうか。
建築物や道路構造物などには、国民が安全で安心して暮らせるために、かなりの地震に耐えうる基準が設けてあります。そして、その基準をクリアするように 設計し、これに基づき施工されます。昔は、儲けるために施工段階で鉄筋を間引いたり、強度の低いコンクリートを打設するなど、いわゆる手抜き工事がありま した。そのような手抜き工事も今日ではありえないと思っていますが、まさか設計段階で偽装しているとは予想だにしていませんから、開いた口がふさがりませ ん。
よく欧米に比べて公共工事費が高いと言われたこともあり、施工段階で創意工夫してコストを縮減することが今では当たり前になっています。しかし、鉄筋の 本数まで減らしてコストを下げることは要求していません。これでは、コスト「削減」です。「縮減」と「削減」では、意味が全く違います。
ここに大きな落とし穴があるのです。物には適正価格があるはずです。「安ければよい」には限界があります。それには、安全基準(設計基準)が歯止めにな るはずです。
なんのために検査・確認機関があるのか。見抜けなかったのは制度が悪いようなことを言っていますが、チェックするのは人です。コンピュータではないので す。担当する者の資質の問題であると思います。大体、現場で仕事をしたことがない者が設計や検査をするからこのようなことになるのではないでしょうか。現 場での経験がある者であれば、建築物の程度によって柱の大きさや鉄筋量などは、だいたい一目で分かるものです。まして、施工監督をしている者が現場で分か らないわけがありません。
阪神・淡路大震災の教訓を活かし、せっかく民間検査機関ができたことの意義を含め、原点に戻り、質の向上を目指して実施してもらいたい。机上だけの判断 は止めて欲しい。現場経験者を生かさない手はないと思います。ただし、グループぐるみで偽装していれば、全然話は別問題であります。